□2月26日;「幸福な旅の終わりと、不幸な旅の始まり」
<走行記録>
天気;雪後曇り
距離とアップ;105.56km、150up
最高時速;50.5km/h.
平均時速;17.2km/h.
ルート ;大津〜京都三条大橋〜宝塚〜神戸
<道路情報>
・逢坂の関は短いが車多くてけっこう大変。
・国道2号は走りやすい。
報告書;
朝起きたら、雪だった。
大津は、雪。
京都も雪。
旅の終わりは、2月にふさわしく、雪である。
朝起きて、雨装備をしていると、なんと、わが相棒のスタンドが折れてしまった。
今回の旅では、フロントバックに次いでの犠牲者だ。
ああ、スタンドがないと、不便なのに〜。
そして、
逢坂の関ではその雪もふぶいてきて、
もう、前が見えない。
でも交通量が多いので、見ないと轢かれる…ここは勝負時か!
今日も、今日とて、向かい風である。
京都。
ついに、やってきた!
思ったよりずっと長かった。
それは、毎日が向かい風だったからだろう。
しかも、寒いし。
厳しい旅も今日で終わり。
だんだん、京都の街並みにらしくなってきて
そして、着いたのが、
京都三条大橋。
旅の終わりであった。
ガッツポーズで思わずやったー!ってやっていると、
おじさんが、写真を撮ってくれた。ありがとー、おじさん!
ヤジキタ像の前で記念写真!
パシャッ!東海道53次の終わりであった。
□京都三条大橋!
こうして、
次なる旅が始まったのだった!
そう、ここから広島まで帰る帰省ツアーにそのまま続行だ。
とはいっても、今日は宝塚の伯母の家に泊まる予定だったので、国道171をまったりと進む。
だんだん、晴れ間も出てきて、気分も高揚してきた!
だが、
事態は急展開を迎えた。
おばの家がなかなかわからずに散々迷ってしまったのだ。
......色々頑張ったが結局みつからない
日が暮れる。
疲れ果てていたのだ。
それでも、切り替えて走り出すしかなかった。
無理して、気合入れたら、それを挫くかのように、荷物がキャリアから落ちてしまった。
もう一度、パッキングしなおしたら、また落ちてしまった。
凹みまくりながら、雑踏の中で、ぼくはもう一度パッキングした。
そしたら、しばらくして、今度はキャリアのネジが外れて、キャリアが壊れてしまった。ゴムひもも切れた。
泣きっ面に蜂であった。
そんなとき助けてくれたのは、
伯母の妹である母だった。
母は、仕方なく適当なテント場を探して走り始めたぼくを電話で励ましてくれ、しかも、ホテルまで取ってくれた。
家族は大切である。
母は、伯母の代わりに謝ってた。
あんたが謝んなくていいよ…。
母は、やっぱり偉大だった。
ぼくは正直、こんな凹みきった気分でテントはどうしてもイヤだったのだ。
夜の国道2号を全力で走る。
切ないくらいに、悔しかった。
でも、
走るしかなかった。
神戸にあったそのホテルは、R&Bというホテルで、よく受験の時に利用していた。
朝食無料で、サービスも良く、新しくきれいだ。
冷え切った体を風呂につける。
芯から温まっていった。
寒い中、コインランドリーへ向かって、服を洗った。
大好きな神戸の街の、きらびやかなネオンライトが、この日はうざかった。
古い飲み屋街の細い路地にあったランドリーの隣は、焼肉屋で、若い客の一気飲みのコールの声が実に耳障りだった。
ぼくは、ランドリーの回る無機質な音に意識を集中させ、冷め切ったコンビニ弁当を食べた。
こうして、
山陽道の旅が始まった。
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□京都東寺
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