万博ツアーの報告書です。
    今回は、後編、9月22日の報告です!






□9月22日;「中山道〜修行編〜」

<走行記録>
天気;曇り時々雨
距離とアップ;129km、のべ2780up
最高時速;52.5km/h.
平均時速;18.2km/h.
ルート ;春日井〜多治見〜土岐〜中津川〜大桑〜木曽駒高原
宿泊  ;木曾旅情庵ユース;交差点から300up、道はすごくわかりにくいが、すごくきれいな日本的ユース!
入浴  ;同上

<道路情報>

・国道19;もはや高速道路。高速がないため大型トラックが走りまくってクラクションを鳴らす。危険。
基本ひたすらアップダウン。

<報告書>

この日は、
果てしなく修行だった。
苦しい、ただ、ただ、苦しい思いをした。
その記録をここにつづる。

中津峠をこえるときは、まだまだよかったのだ。
200アップなんて楽勝、って感じだった。
このあとからが地獄だった。

トラック、
チャリダーの宿敵である。
というか、車は基本的に宿敵である。
というのは、日本のドライバーは“自転車は車道を走る”という常識をほとんど知らないので(というか、ホントは教習所で習っているはずなのだが)、車道を走る自転車をものすごく邪魔がってクラクションを鳴らしまくるのだ。
あれは、チャリにとってはすごく危険で、その驚きで車体が揺れてバランスを崩すことすらある。
彼らは、車の中で安泰なので、“チャリが邪魔だ”という自己中なストレスを遠慮なく発散できる。
だが、
チャリダーはたまったものでない。
その宿敵の車の中でも、チャリに対してしょっちゅうクラクションを鳴らし、危険な運転をする大型トラックは、まさに敵の中の敵!
その敵がわらわらわらわらいるのが、この国道19である。

というのも、
この道、中津川から高速から完全に外れてしまって、この道、国道19号が高速の代わりと化すのだ。
すさまじい。その一言に尽きる。

道の駅、賎母。
ここで昼食を取った。
もう、へとへと。
足ががくがくである。
まだまだ先は長いというのに、これ以上、走る気が起こらない。
ひいひい、言っていたら、車できたおじさんが話しかけてきた。
「いやあ、自転車の旅っていいなあ!そりゃあ、楽しいでしょうね!」

今は、ちょっと…。

 


□妻籠宿の風景


ここから、
少し先に行ったところに妻籠宿という昔の中山道の宿場町がきれいに残されている集落がある。
ぼくたちは、さすがにへとへとだったので休憩も兼ねてここへよることにした。

癒しだった。
それは、本当にしっとりとした集落で。
集落と周りの山々や、小川や、この曇った空でさえも、全てくるめて一つの絵をなしていた。
古い民家はおみやげもの屋さんだったり、観光案内所だったりして、
軒下から、干し柿や、糸瓜が垂れ下がる。
古いものを求めてノスタルジアに浸るご年配の方々、
そして、それすらも知らない、ぼくたちのような若者にすらも、
深い感動を与える集落だった。

しかし、
そのあと、雨が降り始め、
さらに、ここから坂のグロさが本格化した。
道の駅大桑では、ついに、ぼくと友人の会話はなくなった。
疲れ果てたのだ。
浦島太郎の伝説の舞台である寝床の床では、かなりの見所だったはずなのに、
ぐしょぐしょに濡れた体と、痙攣を起こしてびくびくいっている脹脛のぼくたちには、
およそ、元気に観光に徹することはできないのであった。

そもそも日が暮れ始めた。
なんとか県道269の入り口まで来て、
互いに励ましあい、最後の上りを只管登る。(ほんとうにコンスタントに上りだった)
迷い、迷って、着いた先が、木曾旅情庵ユースだった。

ユースのペアレントさんは、
疲れ果てた半死体のぼくたちに色々世話を焼いてくれた。
古い民家を髣髴とさせるユースもすばらしく、
夜の焼肉は赤字覚悟で奮発してくれたというだけあって、肉のあらしであった。

今日は、そういうわけで、朝6時半に出走して、6時まで走り続けたことになる。
総じて、トラックと上った記憶しかない日だった。



□妻籠宿、コスモス


  


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