房総半島春ツアー報告書

 

     合計距離、アップ;227.21km,500up

 

                 第一日目

a96.42km

b51.5km/h.

c4h5m47sed.

d23.6km/h.

e10:10~3:10 (5h.)

 

々と萎えていた。朝は430分起き。通勤ラッシュを避けるために、家を早く出た。結構もう日も明るくて、渋谷まではらくらくいけたが、朝なのに若者君達が色々とうるさかった。輪工はスタンドが外れなくて困ったりした。さて、そこから電車で館山まで行ったのだが、途中で人身事故があって電車が遅れたり、アジア人と英会話したり、さらに、山手線は会いも変わらずに込んでいたりと色々大変だった。そして、内房線に乗ったらやっと落ち着けたのだった。村山由佳の、「彼女の朝」を読む、実は、これの舞台が今日行くであろう、鴨川なのだった。期待が膨らむ。

 

山に着いた。いきなり改札で特急券を請求されたりしたが、まあ特に大きなトラブルも無く、自転車準備。しかし、ここから、洲崎灯台まで「死ね!」といわんばかりの突風が。砂が痛くて目も開けられない、体に当たって、前にも進めない。辛い。洲崎灯台には、登る気は起こらなかったが、それでもいい眺めだった。緑が映える、房総の岬。ここで180度回転して、千倉へ。房総フラワーライン、なんてロードがあってワキワキしていたが、なんと!花が刈られている!!これでまったく楽しくも無かった。さて、太平洋を臨む道の駅、「ちくら潮風王国」についた。ここで、しばしまったりする。信じられない、強風がぼくを襲う。というか、さすが潮風王国だけあって、凄まじい風。追い立てられるように、次の道の駅、「ローズマリー公園丸山町」へ。

 

こは、正解。イギリス式庭園には、色とりどりの花々が咲き乱れ、一つの大きなタペストリーを広げたようであった。暖かな日差しがぼくをつつみ、すこしばかりののどの渇きを覚える。風でそれを潤そうと、レンガ造りの塔の上に上ると、一面の平野と海がぼくの目に飛び込んできた。うーん、デートスポットには最適だな。でも、全く、道の駅的な設備が無いのが気にはなるが。

 

して、淡々と走る。実は後から書くが、ぼくにとって今回の旅は、実は色々思うところがあってのものだった。「どうして旅に出るのか」それに自分で答えたかったのだ。ぼくは、青い海を見ながら、鴨川までの道、それを考え続けた。

鴨川のオーシャンパークで昼食。そして、鴨川の町へ。とはいっても、小説のイメージとは全く違った割と大きな町だった。むしろ、そこから続く、天津の町、そして、この海岸線のほうが、小説のイメージにぴったりだったのだ。おそらく、モデルになったのはこのあたりだったに違いない。

 

して、今日のキャンプ場。県民の森へ。道をきかなければならないほどに山深いところだった。さすがに、後悔し始めた頃、入り口は見えてきた。しかし、もちろん、「森」の入り口であって、いよいよ山深くなっていくのはもはや必然である。さて、そうして、キャンプ場の受付に行くと、ここが東大演習林と同じ敷地であること、そして、蛭の宝庫であることで受付の伯母さんと盛り上がってしまった。相当出るらしいのだ、蛭が。

テン場について、まあったり。テント立てたあとは、近くの木のイスに座ってただ、日の光を楽しんだ。家族連れが多く、子供たちの生き生きとしたキンキン声がかえって気持ちいい。ただ、ぼーっと時を過した。

その後は、例の如く、ご飯を炊いて、失敗して、カレー食べて、寝た。とはいっても、となりの家族連れが最悪にうるさくて眠れやしなかったのだが。

仕方なく、テントから出て夜空を見上げる。おとめ座のα星であるスピカが見えた。春といえばこれが見たかった。

満足してテントに入ると、あとは深い森の中でただ安らいだ。

 

                 2日目

a130.79km

b43.5km/h.

c6h4m58sed.

d21.5km/h.

e6:10~1:30 (6h20m.)

 

、ぼくは5時くらいに起きた。昨日夜遅くまで騒ぎに騒いでいた、家族連れはもう起きており、子供たちの声が朝日にまぶしい。仕方なく、そそくさと、出発の準備をして、6時すぎには出発。春の日光を受けた県民の森はあまりにもまぶしくて、思わず、歌を歌いながら、海岸線を目指してしまった。すがすがしい、緑の空気。心の中から、体の内臓のすみずみまでが、優しく洗われていくようだった。しかし、今日は、ほんとうに悲惨な一日になってしまうのだ。このときはそんなこと全く知らない。

 

岸線に出てからは、いきなり曇り始める。さあて、いよいよテンションが下がってくる。そして、只管勝浦、そして、九十九里浜を目指すぼく。しかし、ここのトンネルの多いこと多いこと。歩行者用の小さなトンネルが掘られているのだが、それらがあまりにも湿っぽく、暗い。トンネルからせっかく出ても、やはり曇っている。なにも考えずに淡々と走り、そしてそうするしかなかった。勝浦の町がどんなだったかも良く覚えていない。ただ、結構順調なペースでぼくは、r30、つまり九十九里浜の入り口にいた。曇り、曇り。ぼくの心もそして、飛ばして疲れてきた体も、なんだか曇っていた。

 

て、この99里浜は追い風を受けて颯爽と飛ばしていくはず、だった。しっかし!なぜだ?なぜか、向かい風、しかも相当強い。高気圧が東の海上に抜けた可能性か高い。とにかく、ぼくは走り始めた。のどの渇き、そして、淡々と続く道。これが、あと70キロ続くのかと思う

スランプの始まりだった。

いよいよ、自分が旅をしている意味がわからなくなっていったのだ……。

 

十九里浜の苦しみは続いた。どうしてそうしようと思ったのか、ぼくはなぜか全力でこぎ続けた。松林によって、海への視界はさえぎられ、単調で狭苦しい、道路を車に追われるようにして走る。ただ、ただ、苦しかった。風があざ笑うかのように、ぼくに襲い掛かってくる、どうやっても、こいつからは逃げ切れなかった。なんど地図を見たことか、そして、そのたびに、「ああ、まだここか」って思うのだった。

 

の遠くなるような時間が過ぎ、ぼくは飯岡の海岸にいた、九十九里浜もここで終わる。ふらふらと自転車を置き、石のベンチに腰掛ける。すると、意外にもこのベンチ、日の光に当たっていたのか、暖かだった。そのまま、石のテーブルに寝そべってみる。暖かだった。ぼくは、そのまま何も考えずに、ただ、そうしていた。顔を上げると、今まで走ってきた浜がコンパスで描いた曲線のように、ずっと、海岸の向こう側、視界の端の端まで続いていた。眠気に襲われ、ふと思う、ここに来るために、今日、ぼくは旅をしていたのではないかと、そのくらいに、安らげる一瞬を謳歌した。

子の町までには山を越えなければならない。ひいひい言いながら越えていると、いきなりに視界が開ける。そして、そこには、一面のキャベツ畑、そして、大きな羽を悠々と回している沢山の風力発電機があった。思わず、息を呑む。天気もやあっと晴れてきていた。

 

子の町からは、電車に乗って、帰る。眠い、そして疲れきっていた。山手線も辛い、そこでの人々からの白い視線も愚痴も辛い。恵比寿で降りて、そこから家に帰るのも辛かった。ぼくは、この旅で何か得たのだろうか。確かに、一日目は美しかった。二日目からが、試練だった。5月。その始まりに、楽しさと、苦しさ、両方を満喫する旅をしてしまい、図らずとも戸惑ってしまった。

気分は沈んだままだ。ぼくが、このダークな気分から抜けるには、まだしばらくの時間を要した。

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