初日の出ラン報告書  

               

     60キロ、570up (ただしupは徒歩)

     その記録

     今回は、冬休みということもあり、何かイベントがほしかったので、比較的近場にある世界遺産である、「厳島」で初日の出を見るという、粋な計画を立てました。

     この計画は、実は広島の友人が高校の3年間行ない続けていたというものです。彼からはそれゆえに色々とアドバイスを貰うことになりました。

     さて、31日、つまり大晦日は、ここぞとばかりに曇っていました。いえ、正確には雨が降っていました。なんとか楽観的に捉えようと、、、。

     家を出たのは300。出来るだけ雨がやんだ時を狙いました。久々に広島の町を、走りました。この町って、自転車道と歩道が合体してることが多いんですよね。車道のほうがなんかご法度って感じです。あ、服装は、今日の夜を考えて、厚手の羽毛ジャンパーにゴアとしました。雨、絶対ふるって感じがしましたから。広島の家から、2号線に西広島で接続。そこから宮島街道を通って、宮島へ。懐かしい風景が!わが母校である広島学院は残念ながら見えませんでしたが、いえ、あえて見ませんでしたが。ほんと、あの頃は色々無茶やりました。でも。今のほうがもっと無茶なことやってるかな。いや、やってないのに、そうなってるんだよね。今回の旅も、安全極まりない息抜きでしかなかった今回の旅も、そうなっちゃったんだよね(涙)

     さて、宮島口に着きました。とりあえず、自転車を置こうって思って、JRの改札の人に、場所を聞いたら、「・・・・・」で手をしっしっって振られただけ。オイオイ!なんて愛想のなさ!非常にぼくも気分が悪くなって、仕方ないので、今度は広電に聞いてみると、(宮島に渡る船は、JR連絡線と、地元の会社の広島電鉄松前連絡線の二つがあるんです)、なんと広電の宮島口の駐輪場をただで使わせてもらえるとのこと!この差!ってわけで、船は広電のほうに乗りました。

     そして出航!もう空は暗くなり始めていて、甲板はとても寒かったです。そして前には、宮島。色々不安要素はありました。今回は下調べがほとんどなかったんです。しかも、観光案内所は500で閉まってしまい、情報もゼロ。さらに、食料さえ調達できてなかったんです。でも、まあ、宮島に行ってそこらのコンビニで買えばいいかと。 甘かったです。宮島にコンビ二はありません。恐らく地元の商店の保護策でしょう。さらに、この時間帯は、なんともうほとんどのお店が閉まっちゃていたんですね。知らなかったけど。

     さて、結構途方に暮れ気味で、神社のほうに歩いていくと、たくさんの観光客がいました。あれ、みんな初詣かな?って思ったのですが、なんか違うようです。場の雰囲気が騒々しいというか、活気付いていると言うか、そこでしばらく待っていると、直径1メートル、長さ5メートルくらいの、とんでもなく大きい藁のような竹のような、そんな素材で作られた松明を、沢山の祭り姿の男達が声を上げながら神社の山道に歩いてきたのです。並々ならぬ雰囲気。そして、そんな松明が他にも、子供たちや商工会の人々によって何本も持ってこられました。ぼくは、何が始まるのかわかんなくて、でもとてもわくわくしてしまい、半被のおじさんに「これから何が始まるんですか?」と聞くと「端によっていてください。火の祭りが始まります。」と貫禄のある声で一言。火の祭りー?

      そして、それは始まったのです。厳島神社の神主さんが、神様の松明を持ってきて、それをその巨大松明に次々につけていくのです。そして、大きく燃え上がる松明を、みんなでもって練り歩くのです。ただ練り歩けばいいものの、大きく振り回したり、鳥居の前まで行って垂直に立てたりするものだから、もう当たりいっぱい火の粉の海!さらに一般の観光客も、小さな松明に火を分けてもらって、参加。すごい騒ぎになりました。本当に面白かったです。つまりは、お祭り好きなわけです。そうして、この31日の恒例行事である、鎮火祭が行なわれたのです。

     さて、このお祭りの後は、宮島は火が消えたように静まり返りました。そうなこうなで、まずは食事です。とにかく開いているお店を探してみると、なんと宮島名物もみじ饅頭のお店しか開いていませんでした。仕方ないので、そこで、「もっともカロリーの高いものをください」「うちには饅頭しかないんだけどね〜」で、仕方なく前7種類の饅頭をいただくことに。ところが美味しいお茶も出してくれて大満足です。その後、弥山に上ることを伝えて、情報を得ようとすると、詳しく教えてくれて、さらに地図までくれました。これは大きかったです。ありがとうです!

     そして、早めに山頂に上ったほうがいいとの話を受けて、早速700〜登山。大聖院から登る登山道が最もよいとのこと。しかし、ここからが恐ろしい苦難の始まりだったのです。

     大聖院に厳島神社から上る道。ここは既に真っ暗でした。ああ、暗いな。って、思いながら、登っていきました。大聖院は相当大きなお寺ですが、ここも真っ暗。近くを流れる川の音だけが聞こえます。懐中電灯のみがたより。お寺を照らすと、古く大きな門が口をあけるようにぼくを迎えてくれました。そこかた、川沿いに登っていきます。もう、だれもいません。登山客の一人もいません。恐ろしい沈黙。時々、寺の神様のお堂が、懐中電灯のまあるいライトの先に確認できます。石の階段。ところどころ崩れていて、踏み外したら、川に落ちます。そして、ぼくは登っていったのです。この手の、暗闇には慣れっこです。しかし、この後が、まずかった。

     完全な暗闇。途中に東屋を発見。さて、そこから上は一気に道が狭くなりました。いえ、その道を探すのも一苦労。昼なら絶対こんなことはないのに。さらに、雪が降り始めました。ああ、やばいな、って思いました。そして、ある程度上がると、積もっていました。まずいんです。踏み外したら、死にますから。でも、帰ってここから引き返すのは危険だと判断しました。根雪で足を滑らせる危険が非常に大きかったからです。それより、山頂にいけば、きっと休憩所でもあって、他の登山客と合流できる。それのほうが安全だと判断しました。それを信じていました。雪はどんどん深くなっていき、15センチくらいになりました。こうなると、道すらわからなくなります。しかし、片一方が崖ですから、どっちにいけば生きることが出来るのか位はわかりました。台風18号の影響でしょうか、沢山の倒木が。さらに、吹雪いてきました。これは相当やばかった。遭難の危険性があったからです。なによりも、懐中電灯の電池が切れかけて、だんだん光が細くなっていきました。(こんな懐中電灯どうしてもって来たんだろう…。)でも、もうだいぶ上にまで来て、引き返すことなんで出来ません。携帯があったので、これでいざとなったら警察に連絡を取ってレスキュー隊に来てもらうつもりでした。とうとう、山頂まで着ました。展望台、との雪見埋もれた看板を発見して、急ぎました。そして、、展望台。  雪に埋もれていました。激しい吹雪。強い風。そして、誰もいませんでした。絶望でした。それはやばいな、って判りました。そこで、もうここから引き返すなんて無理なので、仕方なく警察に連絡を、、、、、、ってなんと携帯のアンテナ、立ってない!!これは、  やばいな!

     かといって、このままここにいても仕方ないです。ここで、寝袋はっても、凍死するだけ。なら、降りて、生存する確率にかけようと、判断して、降り始めました。滑って、滑りまくって、そして、電池がいよいよ寂しくなって、もう、困りました。ああ、やばい、とか思って、でも、頑張りました。そして、下山成功。途中で地元の人にあって、散々に無謀だって怒られました。ほんと、死ぬかと思った、です。でも、なんとかなりました。生きててよかった!!

     下に降りて、ぼくはとりあえず、港に行って、席に座り、まったりしました。沢山の人が、初日の出を見ようと宮島に来ていました。ぼくは、席に座って、港のテレビでやっていた、紅白歌合戦を見ていました。マツケンサンバをやっていました。ああ、さっきまで死にそうだったのに、いまこうして、こんなバカらしい歌を聞けるなんて。嬉しい。嬉しかったです。さて、遂に今年もあと少しになり、ぼくは港を離れ、神社へと向かったのです。

     神社では、沢山の人が並んでいました。警察の人がいろいろと整理をしていました。そうそう、近くで社会人の女性が、恋バナをしていて、気になって仕方ありませんでした。そして、年代わり少し前に神社に入場。NHKの行く年来る年の取材をやっていました。そして、神社で、遂に、遂に、2004年の終わり2005年の初まりを告げる、太鼓が鳴らされ、年が変わりました。ああ、今年はきっと去年よりすごい年になるんだろうなって、おもっていました。色々、計画を温めているのです。

     さて、神社では、「妹が大学に受かりますように、沢山の人々の願いがかなって沢山の人が幸せになりますように」との願いと、「ぼくにも恋人が出来ますように」と最後に自分への願いも付け加えておきました。神社では、妹にお守りを買いました。

     その後は、港に戻って、近くのベンチで寝ようとしました。ところが、すぐ近くで、広島の不良君達によってリンチ事件が起こってしまい、警察が20人くらい来て、救急車も来てうるさかったので、仕方なく、港のベンチに座って、寝ようとしました。

     眠れませんでした。途中で、朝、山に登る人たちにあって、話をしたくらいです。とにかく寒い、寒すぎる。外で寝袋に包まって寝たいけど、雪が降ってるし、無理でした。そして、夜があけるのをひたすら待ちました。

     朝、600くらいに起きて、夜が明けるのを待ちました。でも、遂に、遂に、初日の出は出ませんでした。曇っていて、遂に、今年は出なかったのです。ああ、涙涙です。

     仕方なく、宮島を後にしました。そして、自転車で家に帰りました。本当に、予想以上に、大変なラン?でした。でも、楽しかったです!さあて!今年も、頑張りますか!!

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