企画1;多摩川台古墳群と等々力渓谷

プラン(ルート);
狛江自宅〜野川自転車道〜県道11〜多摩川台公園〜亀甲山古墳〜古墳展示室〜多摩川台古墳群〜宝来山古墳〜県道311〜等々力渓谷〜御岳山古墳〜野毛大塚古墳〜県道11〜野川自転車道〜狛江自宅

距離;
30.09km

報告書;
夏休みは長すぎる。
と思ったのも、しょうがないと思う。
うちの学校は、2ヶ月間も休みがあるのだ。
だから、夏休みもあと少し、とはいえども、今まで毎日、旅、旅、旅で過してきた僕にとって、この狭苦しい一人暮らし用下宿に籠もり続けるのは凡そ無理な話である。
かといって、なにかまた大きな旅に出るには時間が少なすぎた。
そこで、狛江自宅の周りの、遺跡を巡るポタリングをしてみようと思ったのだ。

ぼくは、遺跡が好きで、地元広島の遺跡は、ほぼ全て回ったという経歴を持つ。
しかし、東京の遺跡は、どうもこの都会過ぎる雰囲気に気圧されてなかなか回れていないのが実情だ。
せっかく考古学部に内定したわけだし(どうもうちの大学の考古学部は好かないが!)ちょっと遺跡を巡る企画を立てようと思ったのだった。

晴れて、今日、第一弾を決行した。
目的地は、大森貝塚!

のはずだったのだが、途中に立ち寄った、多摩川台古墳群があまりに魅力的だったため、結局今日は、ここをメインにした。
このあたりは、日本書紀にある、武蔵国造の乱で敗北を帰した、オキ(小杵)の本拠だったそうで、そこらへんにそそられたのだ。
参考ウェブ→
・行田市ホームページからの武蔵国造の乱の説明

まず、向かったのが、亀向山古墳。
ここはかなり大きめの前方後円墳で、4世紀(ちょうど日本史的に史料の少ない時期に当たる!)ごろに造られたものらしい。
木が生い茂っていて、一見したところではその形はわからない。

そこで、近くにある、古墳展示館へと向かった。
ここは無料で入れて、係員の方も非常に親切だった。
中に入ると、このあたりの古墳群(田園調布古墳群というらしい)の編年的な説明と、出土品のレプリカが展示してあって、面白かった。
その流れで、多摩川台古墳群、そして、このあたりでもっとも古い、宝来山古墳を見に行った。
多摩川台古墳群は、古墳時代後期の群集墳に当たり、円墳の形が良く残っている。
近くは公園になっていて、もう、秋だというのに(さすがに認めた)、蝉の声が忙しく聞こえ、気分的に暑かった!

□宝来山古墳


その後、向かったのは、等々力渓谷。
ここは東京都内でも希少な渓谷で、(確かに、東京のこの街中に渓谷ってのも驚きだ)トラックが行きかう環状8号から降りると、そこは涼しさと静けさに包まれた世界だった。
ここにも、古墳時代後期から奈良時代にかけて造られた横穴古墳がある。
この時期は、有力農民など今まで古墳を造ってこなかった層が小さな古墳を造って埋葬され始めた時期だ。(おぼろげな日本史の記憶)
3号墳は石室が完全な形で残っており、結構みものだった。
この渓谷には不動の滝という小さな滝や、不動尊などがあって、年配者の方々の散歩コースになっていた。
また、この近くには、御岳山古墳という比較的大きな古墳があるが、ちょっと、分かりにくかった。

□等々力渓谷横穴古墳3号墳石室


さて、最後に行ったのが、このすぐ近くにある、野毛大塚古墳。
この古墳は帆立貝式の古墳で(それにしては相当大きい)、前方部の脇に出っ張りがある。
きちんと整備されていて、埴輪や、ふき石なども復元されていた。
頂上部には、4つある埋葬部が埋め戻されて、石室の位置がラインで明示してあった。
出土品も多く出たようで、国立博物館にあるらしい。
今度、見に行ってみたい!

□野毛大塚古墳


さて、今日は、こんな感じだった。
走り足りなすぎて、自分でもびっくりだが、こんなゆっくり遺跡をみるのが久しぶりだったので、それはそれでよかった。
とりあえず、この企画は、暇な日曜日や、休日などを利用して、これからも続けていきたいと思う。

 
  



――資料トップページに戻ります。




 


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