日本縦断ツアーの報告書です。
    今回は、プロローグ編、7月26日の報告です!






□7月26日;前途多難の序の口で

<走行記録>
天気;雨のち晴れ
距離とアップ;20.87km、0up
最高時速;49.5km/h.
平均時速;23.2km/h.
ルート ;狛江自宅〜羽田空港〜鹿児島空港〜国分キャンプ場
宿泊  ;国分キャンプ海水浴場;無料、シャワー、トイレあり、海が直ぐそばで絶景!
入浴  ;キャンプ場のシャワー。水!夏はいける。

<道路情報>

・ 国道504 山の中ひたすら下る。アップは無い。
・ 国道223 走りやすく、路肩広い。
・ 国道10  ちょっと狭いけれど、走りやすい。

<報告書>

遂に!
遂に!遂に!
日本縦断の旅が始まるのだった!まさに、感無量!
さあ!
出発だ!・・・と思って、玄関を出た矢先、大雨が降っていた。
そう、この日は、東京に台風が上陸する予定の日だったのだ。なるほど、風も、そこそこにある。
今まで、旅をしてくる中で、いろいろな旅人から「雨男〜〜雨男〜〜〜!」って蔑まれてきたぼく。その期待に答えて、今回の旅も出発日からちゃんと雨が降っている。しかも!台風。ああ、なんだかこれからも雨に降られ続けるのではないかと、一抹の不安に駆られるのだった。(ちゃんと的中してるし)

羽田空港まで行く際、一つ学んだ事がある。はっきり言って、天王洲での乗り換えは、ちょっとありえない。
というのも、ここで乗り換えると、自転車その他キャンプ道具(超重)を持って、長い長い階段を上っていったん地上に出て、さらに乗り換えの駅まで200メートルくらい歩いて(自転車をやっている人は解ると思うが、輪工自転車を持っての移動は死難を極める!)、さらにそこからガッツリ階段を上らされるという、地獄ロードを経なければ、乗り換えられないからだ。

さて、台風が来ているというのに、羽田では、ちゃんと飛行機が動いていた。
飛行機に自転車は輪工すればそのまま載せられる。しかも、「自転車」といった札までつけてくれるのだから日本の航空会社はなかなかやる。まずは、荷物を検査して(検査機に入らなかったゆえ、係員とともに、袋を開けて手で調べた)、重量を量る。もちろん!重量オーバーだが、ここらへんは見逃してくれるのが、日本のいいところだ。手荷物検査でも、ちゃんと引っかかった。(というか、これは自慢なのだが今まで引っかからなかった事が一度も無い)係員にいろいろ体をまさぐられて(くすぐったい)、一応国際テロ犯の容疑は晴れたのだった。その後ほっとしてくつろいでいると、空港のアナウンスでいきなり呼び出されたので、なにかまずい事をしたかな??を思っていくと、輪工袋が移動中破れたと(1センチ程度)いう事をわざわざ謝りに呼び出したらしい。あまりに親切でちょっと感激。

そうして、いよいよ小雨ちらつく、7月26日!
彼女居ない歴21年、身長は(サバを読んで)165センチというさえない東京の大学生の、花も恥らう21歳の夏!、人生最高レベルの挑戦が、今始まった!
飛行機が飛び立つ!
ああ、さよなら東京。次帰ってくるのは、大学の教務課に進学の一件で駆け込むときだ・・・!

 


□快晴の鹿児島空港


鹿児島。
東京の空を覆っていた分厚い雨雲は、西に向かうにつれて薄くなっていき、鹿児島空港へ降りる頃には、完璧な快晴になっていた。空港に降りて、飛行機輪工解除をしていると、さっそく鹿児島の人々に話しかけられる、日本縦断の旨を話すと、おばあさんや、バスの車掌さんやらに、応援されて、すっかりその気になってしまった。後は、国分まで自転車で駆け下りた。隼人の街はもう暑くて暑くて南国気分。道路も広いし、言う事無い。

国分キャンプ場には、2時には着いた。まだ、ぜんぜん走っていないのだが、けっこう綺麗なキャンプ場なので、今日はここで泊まる事にした。しかも、無料。管理室で手続きをして、同じテントを張っている人の近くにテント張って、夜まで海岸でまったりしてた。
目の前には、本当に久しぶりの海。それも、ぽっこり煙を吐き出した桜島を前にして雲ひとつ無い快晴という極上の海だ。
波の音を聞きながら、ひとり、自分の世界に浸る・・・・・・。
―――つもりだったが、速攻でちかくにテントを張っているおじさんに話しかけられた。なんとその人もチャリダー!当然のようにいろいろと話が弾む。同じテントには、そのおじさんと今一緒に走っているという、方がいて、その方とも、いろいろ話し込んでしまった。ちょうど地図を持っていたので、これから走る道の状態だとか、良好なテン場だとか、そんなことで盛り上がった。
そうして、日が沈んでいった。 南国の太陽は、あまりに紅くて眩しかった。
朝まで、雨に打たれていたぼくが、今、きたことも無い南国の小さな町の海水浴場にテントを張って、おじさん達と話しこんでいる。ちょっと、普通では考えられないようなシチュエーションだが、やがては、この旅の中で、こんな感じの毎日が当たり前の日常になっていったのだった。

夜は、おじさんたちに鹿児島の焼酎を頂きながら、話し込んだ。
なんでも、その中の一人であるH先輩(51)はママチャリで日本をすでに3週して今4週目に突入中の神のような人だった!
その経験と知識は半端でなく、夜遅くまでいろいろと教えていただいた。
そして、先輩には、この旅の中でメールと通していろいろとテン場や道の状態を教えてもらい、沢山助けてもらった。
この出会いが、この旅の始まりだったといっていい。
そうして、波の音に優しく包まれながら、ぼくは寝袋にもぐりこんだ。


□国分キャンプ場の日暮れ


  


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――日本縦断企画トップページに戻ります。






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