日本縦断ツアーの報告書です。 今回は、中国編、8月2日の報告です! |
□8月2日;「今更な帰省」 <走行記録> 天気;雨のち晴れ 距離とアップ;111.57km、400up 最高時速;54.0km/h. 平均時速;19.7km/h. ルート ;周南〜岩国〜大野〜廿日市〜広島 宿泊 ;実家 入浴 ;実家 <道路情報> ・ 国道2;快適。トラックが多い。 ・ 県道15;予想以上にきつい <報告書> 今回は、旅の途中に家に寄るので、これを帰省にする。 とっとと家に帰ればよいものを、延ばしに延ばして、九州から自転車で帰ってくる、今更な帰省。 果たして、歓迎してくれるだろうか??(親は最後まで日本縦断に反対していた。) 夜から雨が降りだした。 あわてて起きて、テントにフライシートをかぶせる。 「暑いからフライシートはいーや」なんて横着するものだから、こうなるのだ。 ああ、テントにもう浸水している。気持ち悪いー。 とりあえず、気にしないことにして(気にしないように最大限努めて)その夜を明かした。 ―――朝。 雨はすっかり上がっていた。 蝉が泣き出すと共に、今日も暑い日が始まる。 この日は、実家までなのであっという間だ。 とりあえず、朝食をとって、散歩の方々と世間話をして、出発! 2号線は走りやすかった。 路肩が広い。主要国道はここらへんの整備が行き届いているから嬉しい。 でも、途中から県道15号に入ったら、いきなり道幅が狭くなった。 しかも、こんな時に限って工事をしまくっている。 さらに、きつい上りで、加えて向かい風という最悪のコンディションだ。 それでも、トンネル(ここのトンネルがすごくて、路肩が無い上にトラックが猛スピードで走っていく、さらに出口が工事中だった。)を抜けたら、その後はずっとくだり。向かい風でほとんどスピードは出なかったものの、岩国にはあっという間に着いた。 着いたのは錦帯橋。 始めてここに来たのは小学2年生の頃。 あの頃から大分変わってしまったが、それでも、懐かしくて、錦川の川原に下りる。 錦川はここらへんでは数知れた清流で、まるっこい石で埋め尽くされた川原から、水辺に歩いていくと、そこにはめだかなんかがいっぱい居たりして。 とりあえず、ぶらぶらして、やがて疲れて川辺に座り込んだ。 仰向けになって、周りを見渡す。 よくみてみれば、橋が新しい。 そういえば、ちょっと前に架け替えたんだっけ。 空を覆っていた雲の隙間が、だんだんと広がっていって、やがて太陽が顔を出した。 ああ、夏だな〜。 太陽がありがたいな〜。 そのくらい、ここ最近、雨ばっかだよ…。とほほ…。 |
広島まであと少しの廿日市。 この町を走っていたら、おじさんが手を振ってぼくを止めた。 おじさんもチャリダーらしい。 そして、二人はじっくりといろいろ話したのだった。 議題は、「チャリと冒険とロマン」ってとこかな(笑) のどが渇いていたぼくに、持っていたボトル2本分のお茶を分けてくださった。 ありがとうです! 広島の実家に着いた! さあ、親は歓迎してくれるか、それとも? 家の前に行って、ドアを開けようとノブを回す。 「ガチャ」 ……。 閉まってるーーー! 遂に愛想つかされて閉められたか、ただ、外出中なだけか?? しばらくすると、母親が帰ってきた。 ぼく「あ、おかえり」 母 「ただいま〜」 …。う〜ん、なんか立場が逆な気がしない事も無い。 実家では、この後、2日、つまり8月3日、4日とゆっくり休んだ。 その間に、とりあえず、執拗に女の子扱いされてきた過去の最大要因である長く伸びた髪をバッサリ、本当にバッサリ!切った。 これで全ては解決するはずだ! また、自転車のギアのミドル(中くらい)が使い物にならなくなっていたので、自転車屋に行ったら、「これは手に負えませんね〜」なんてさらりと言われてしまったので、このまま断行することにした。(おかげで最後の最後までミドルはあまり使えなかった。東京の自転車屋でじっくり見てもらったところ、ペダルと、その棒(なんかペダルとB.B.つないでるやつ)と、B.B.の交換が必要だった、つまりは自転車のペダル周辺が全て壊れていたことになる。 こうして大きな不安要素を残したまま、ぼくは実家を後にする。 |
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